昭和56年11月13日 十三日会? (末永信太郎) №56-131 A-1
確かに合楽理念を持ってすると、まあ、成り行きを尊ぶとか、大切にするとか、土の心という風にも言われますから、なら、成り行きそのものを大事にして行けばいいのですから、実に簡単です。また、どのような場合であっても、土の心一つでそれを受け抜いて行こうとするのですから、本当に糸簡単です。
けれども、それを、いよいよ明瞭なものにして行く、というところに、私は、ね、かさ一本で、とにかく確かなものにして行く手立てがいる、ということになります。昨日、私の心の状態が、ね、まあ、言うなら一年一年有り難いことになって来、考えようでは、こんな味気のない人間が人間らしゅう生きるということの観点が、私が昨日お話を申しましたようなことに置かれると、まあ、場合によっては本当に無味乾燥な感じも受けるけれども。なら、私自身は、悲しいこともなからなければ、特別嬉しいということもない。
ただ、あるのは有り難いというものだけなんです。どんな場合であっても有り難いという答えが出して行けれる。その、私は裏には、内容には、ね、やはり日々の信心、私なりの修行があってからのことだと思うんです。ね。例えば、親を亡くして悲しくないと言やあ、嘘になりますけれども。私の場合は、考えてみると、そんなに悲しいことではなかった。もちろん、九十いくつまでも長生きのおかげを両親とも頂いておったから、もう、これ以上のことはという事も言えるのですけれども。
これには、私の例えば親に対する、まあ、一般で言うならば親孝行。ね。また、私は信心で言うところの親孝行。ね。それは、例えば、まあ、撫でさすりしてやるような在り方も、やはり親孝行、と。ね。親孝行というのは、親に喜んでもらう、安心してもらうということなんですよね。それを、間違えて、ね、着物を作ってやる、隠居場を作ってやる、お小遣いを十分にあげるといったような事だけで、親孝行のように思うておる。温泉に連れて行く。そんなことが、親孝行が出けたという風に思うておる人がありますけれども、私の親孝行は違っておった。ね。
昔、ある村に大変親孝行で、評判の息子がおった。御殿様から、親孝行の子供たちに、ご褒美を下さることになった、その下調べがあった。まあ、下調べに来たところが、ちょうど、野良仕事から帰ったばかりの息子。それに、母親が洗い桶を持って行ってあって、足を洗ってやっておるところであった。ね。
ほれで、その、まあ、調査に来たその侍が、親孝行と言うて聞いて来たんだけれども、親に足を洗わせるような息子が、何が親孝行かと、まあ、言ったというのです。ね。ほれで、その息子が申しました。とにかく、親が喜ぶことは、親が安心してくれること。それが、私は親孝行だと思いますと答えたという事です。
私はもう、それによく似た、私が、まあ、一週間に一遍ぐらいしか両親の部屋に参りませんし、夕食を一緒にさせてもらう。もう、それが、もう両親は、もう、その楽しみでした。そすと、母がテレビを見ながら、私が足を投げ出しとると、私の足を一生懸命こうやって揉んでくれるんです。もう、胸がジーンとするごと嬉しいんですけれども、母も嬉しいらしいんですね。
もう、ジーッと朝から晩まで座っとるけんのち言うちから、私の足を揉んでくれるんです。それは、んなら、例えば、ああしとくと、親先生はお母さんに足どん揉ませちからということになるかも知れませんね。だから、私の言うなら親孝行というのは、そうではなかった。、その印をいつも私は引いたら足してみる、足したら引いてみるという風に、ね、皆さんもご承知のように、それこそ腰一つ揉んでくれ、肩が凝るといったようなことはございませんでしたね。神様がおかげを下さってあるんです。
私が純毛のシャツを着る時には、父はめりやすのシャツでした。亡くなる4~5年前ぐらいからでしょうか、私が何か特別、まあ、世界でも少ないと言われる、何か獣の毛で作ったという、あの、何かというシャツを毎年頂くことになりました。その頃から、父は純毛のシャツを着るようになりました。
親には木綿のシャツを着て、自分は純毛のシャツを着て。まあ、私の場合はそうですから、見方によっては、親孝行、親孝行と言いなさるけれども、親孝行しておらんかに見えます。ね。ところが、なら両親は私にはメリヤスども着せてと言うて、不平不足を言うのじゃない。
もう、とにかく、ただただ、もう、私のことを「先生、先生」と両親の方が言いよる。もう、先生がおかげで、毎日極楽させてもろうて、と言うて喜んでおりました。そして、なら、体の上にも健康の上にもおかげを頂いて、どこが痛い痒いもなしに、おかげを頂くほどしのおかげを頂いて。もう、とにかく、じっちゃま、婆しゃまの部屋に行くと、もう、あそここそ本当の極楽部屋と言うのであろう、と。
夏は涼しゅうして、冬は温室のように温かいというような、まあ、その間取りの具合と言うでしょうか、そういう、まっ、天然のおかげを頂いておった。ね。私が別に、御小遣いをあげるということでもなかった。もう、誰かが、もう、それこそ甘な辛なはいつも、あちらの、例えば久富先生辺りが婆しゃま、じっちゃまんところに、まあ、何か行かれますと、もう、すぐ御神酒を汲んでから出しよりました。
久保山先生のように甘い物が好きなと言うと、甘い物をすぐ、お茶と甘い物を出しよりました。いつも、甘な辛なが、神様が準備しておって下さるわけ。ですから、そうして、まあ、出けた訳でございますけれども。それは、なら、私がしてやったという事でも何でもなかった。私はむしろ、御世話になりに行くような事でしたけれども、それが親としては、嬉しいことであり、楽しいことであった。ね。
私はね、そこから生まれて来る親孝行、そこから生まれて来る安心でなからなければ、本当なものではない。はあ、今日も行かずに足を揉んでやらじゃったがと言うて、もう、例えば足を揉んでやることだけが親孝行であるとすると、いけない時には、もう親不孝ということになるじゃない。ね。
私はこの傘一本で開ける道という、まあ、ここでは、簡単です、明瞭です、と。まあ、簡単な、なるほど、なら土の信心になりさえすればとか、成り行きを大切にしてさえ行けば、もういいんですねと、こう、たったそれだけの事だけれども、それが自分の血に肉になるためには、やはり、日参りもせなきゃ、( )お参りもしなけりゃならん、教えも頂かなければ出来んのです。
いわゆる、それが段々、明瞭に分かって参りまして、明瞭に自分の血に肉になって行くということ。ね。私は親孝行にでも段階があると思う。ね。本当の本当の親孝行とは、どういうことだろう。ね。そこから生まれて来る安心。私が例えば、一週間、両親の部屋に参りませんでも、私の心はいつも安らいでおる。ね。いつ行っても、両親は喜んでくれる。ね。
私が一生懸命、本気で、なら、私は、私の信心のこんなことでは、例えば終戦引き上げ、そして、食べる物にも事欠くといったような中にあって、もう親孝行したいばっかりに、例えば(ふくし?)辺りまでも、まあ、言うならば働きに出らせて頂いたのに、裸一貫同様で帰って来たんじゃ、もう、目も当てられないと思うた。ね。そこで、私は思うた。この親に喜んでもろうて、ね、親が亡くなったら、明くる日からまた貧乏になっても良いから、いわゆる、商売人ですから当時、儲けさせて下さいと言うのでした。
親が安心さえしてくれば、と。ね。ですから・・・(テープ切れ)